薬物依存についての情報 


親と教師のための薬物依存の情報

第3部

薬物依存問題の三相

短期卒業可能性を見逃すな

長期乱用−嗜癖の問題


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8.薬物依存問題の三相

 

  このように見ると、今まで日本の青少年を薬物乱用問題から遠ざけていた種々の社会的な環境が、ことごとく怪しくなってきているということを認めざるを得ないでしょう。
 実際、平成7年度から覚せい剤取締法違反で検挙・補導された青少年の数は急速に増えており、ことにその中で高校生の占める割合が増加しています。情緒的な或いは行動面での問題が圧倒的に中学生に多いことから考えれば、条件さえそろえば中学生にも覚せい剤乱用が広がる可能性は少なくないと思われます。
 これまで、先進諸国の中で、例外的に日本では若者の薬物乱用問題が拡大しませんでした。しかし、御承知の通りアメリカの薬物問題は非常に深刻で、多くの教育関係者が学校問題の第1に薬物の問題をあげますし、カナダやヨーロッパの各国でもかなり大規模な薬物乱用対策が行われています。
 そこで、若者の薬物乱用を防止するために親や教師は何ができるかということを考えてみたいと思います。これまで、薬物乱用防止は警察による犯罪としての取り締まりと学校教育の中では非行防止として恐怖を煽るような形がとられてきました。もちろんこれらの方法が有効でないとはいいませんし、今後も引き続きこのような方法に立つ薬物防止教育は行われるべきでしょうが、これまで述べてきたことから明らかなように、このような方法がこれまでほど有効性を持ち得なくなってきているということもまた認識している必要があるのではないでしょうか。
 薬物乱用或いは嗜癖に対しての予防的な関わりを考える際に、実際的には次のようにその問題を三つの相に分けて考えるのが実際的ではないかと思います。すなわち、まず短期卒業可能性に対する対応長期乱用−嗜癖の問題若者に蔓延する嗜癖気分とでも呼べる心性についてです。以下にそれぞれについて、少し詳しく検討してみます。


9.短期卒業可能性を見逃すな



 酒やタバコを別とすれば、青少年の薬物乱用で、未だにもっとも多いのは有機溶剤(シンナー、トルエンなど)です。中学生で有機溶剤を使用した経験のある子どもは少なくありません(もちろん多くはありませんが・・・)。ところが、高校になっても有機溶剤を使っているという子どもになると、ぐっと減ります。彼らがいうところの「卒業」です。さて、この卒業というように呼ぶのがもっともふさわしい彼らの行動の変化が、何によるものなのかは仔細に検討してみなければならないでしょうが、大ざっぱには高校進学による環境の変化と、個人の内面の変化というように考えればよいでしょう。実際は、それらが、影響しあってということでしょうが。
 たとえば、躍起になって教師が解散させようとすると、遊び仲間の結束はむしろ強まるものですが、別の高校に進学したということだけで、その結びつきは急に弱くなってしまうものです。同時に、高校に進学するという体験は、子どもたち自身にとって、何か急に周りが大人になったような感覚を伴うことが多いようです。
 おそらくこれと同じように、覚醒剤=エスにおいても、それが身近なものになればなるほど(逆説的に聞こえるかもしれませんが)それからの卒業ということも起こりやすくなるはずです。覚醒剤の使用へのハードルが低くなれば、それだけ軽い気持ちでやる子供も増えるでしょうから、戻ってくるハードルも低くなるということです。
 ここで考えておかなければならないのは、このような短期卒業可能な子どもが間違ってズルズルと依存に陥らないようにすることです。
 そのために、いくつか考えておかなければならないことがあります。まず第一に、覚醒剤=エスを最初に使用したとき、子どもたちのこころには少なからず葛藤があります。「エーイ、やってしまえ」という気持ちと同時に「どうしよう、ヤッチャッタ」という気持ちです。これはアンビバレツと呼ばれる心の動きです。特に、仲間に誘われてというような場合は、集団心理で「エーイ、やってしまえ」という気持ちが大きくなっているわけですが、ひとりになったときにその反対の気持ちが大きくなって、不安に襲われます。つまり、心の中には覚醒剤の乱用の方へ進んでゆく気持ちと、同時にそれをとどめようとする気持ちが働きます。ところが、このブレーキをかける方の気持ちは、行動に結びつきにくいのです。行動には結びつきにくいものの、その裏には心の動きがあることを見逃さないことが大切です。
 そこで、二番目にそのブレーキをかけようとする心の動きを行動に結びつけることが出来るような、行動のモデルが必要になります。たとえば、「覚醒剤をすすめられても断りなさい」ということは簡単ですが、実際、場の雰囲気が壊れることを過剰に心配しながらつきあっている子どもたちにとって、みんなが盛り上がってエスをやろうかとしているときに、ひとり「僕はやらない」ということはとても勇気のいることです。何を甘いことを言っているんだと思われる方は、自分が仕事のつき合いや上司の命令や、近所とのつき合いでどの程度「それはいやだ」と断れているかを考えてみて下さい。子どもたちにとっては、友人との関係から切れてしまうということは、お父さんが会社をクビになるのと同じ程度には重要なことなのですから。薬物乱用防止教育の先進国では、具体的にこのような場合はこのように断ればよいというような例を示して、あるいは実際その様な場面を仮に設定して子どもたちにロールプレイをさせるなどの教育をしているようです。日本の事情にあったモデルが必要になってくるでしょう。
 三番目は、正しい情報を子どもたちに伝えることです。例えば、エスと覚醒剤が同じものであることを知らずにエスを使ってしまう子どもがいます。また、例えば、覚醒剤を使用していて体に変調を来したような場合に、病院で診察を受けたとしても、そのときに覚醒剤を所持しているのでなければ病院から警察には通報されませんが、多くの子どもは通報されると思っています。これでは、具合が悪いと思っても、警察に捕まりたくないばっかりに、ひとりで悶々としなければならなくなります。悶々とするだけならそれでも良いわけですが、このような場合、不安から再び薬に手を出してしまうということも少なくありません。あるいは、不安になったときに、他ならぬエスをすすめた友人しか頼る当てがないということになってしまうかもしれません。
 とすれば、このような不安を持った子どもがアクセスする事が出来る大人が必要になります。それが親や学校の先生ならばもっとも望ましいことでしょう。しかし、親はともかく、このような場合に先生に相談しようと思う子どもは例外的少数派です。正しい薬物の情報などがもっとも手に入りやすい立場にいるのは、先生でしょうから、このような場合に先生に頼れないというのは残念です。しかし、どの先生も頼られていないというわけでは、もちろんありません。日頃の生徒との関係の質が問われてしまうということになるでしょう。
 つぎに、子どもの覚醒剤の使用を見つけてしまった親がどうすればいいかを考えてみます。最近の子どもの傾向として、親にはいい子を演じ続けようという傾向が強いようです。親の立場から、子どもの非行がこれまで以上に見えにくくなっています。ですから、それに気づいたときの親のショックは大きいものでしょう。弱気な親の場合、気づいていてもそれを否認して見ないようにすることさえあります。まず、事実を認める勇気が必要です。そして、毅然としてやめさせるという覚悟が必要になります。毅然とするということを、闇雲に恫喝することと勘違いをしている人が、特に父親に少なくありませんが、これは全く違うことです。子どもは親の態度の裏側にある本心を鋭く見抜いています。「またやっかいなことやらかしてくれた。おまえには本当にうんざりだ」という態度での叱責ならば、しない方がましかもしれません。子どものために本気になっているのかどうかにかかっています。
 子どものために本気を出せばそれで良いのかというと、実際はそれほど甘いものではないでしょう。しかし、まず親が本気になることしかありません。親と子供の関係は、それまでの日常の繰り返しの中で、ある種のあきらめをお互いが持っていることが多いようです。「どうせうちの親は」と子どもは思い、「いつもあいつは」と親は思うという関係です。このような関係は、もちろん親子の間だけでなく夫婦の間にもあります。このような、お互いがお互いをあきらめているような関係では、子どもに変化を起こすことは困難です。
 それから、養護教諭のような立場にある先生に特に知っておいてもらいたいのは、覚醒剤の使用によって生じる心身の変化についてです。覚醒剤を連用するようになると、心身に変化が生じ、それが端からでも見て取れるようになります。詳細については、Q&Aを参考にして下さい。
 つぎに、学校での薬物乱用防止教育について少し考えてみたいと思います。学校でのいままでの薬物乱用防止教育は、そのほとんどが恐怖をあおるものと、詳細な薬物についての知識を伝えるものでした。薬物乱用防止のための啓発ビデオが何種類か出回っていますが、どれも似たり寄ったりです。その中にあるメッセージは、「こんなに怖いんだよ。こんなことやってたら、将来ろくなことがないよ。」というものでした。確かにその通りです。覚醒剤なんてやってたら、将来ろくなことにはならないのです。だけど、この手のビデオは子どもたちに評判は良くありません。中学校や高校でこのようなビデオを子どもに見せて、あとで感想文を書かせると「覚醒剤の怖さがわかった」とか「覚醒剤は絶対やっちゃだめだと思いました」なんてことを書きます。その程度には、子どもも教師を立ててくれているということです。しかし、実際の効果のほどはどうでしょうか。覚醒剤を、手を届かぬものにするという様なやり方が可能であったうちは、この手の方法が有効であったでしょう。しかし、覚醒剤が子どもにとってもっと身近なものになったとき。そして、「将来なんてどうでもいいや」という子ども に対して、このようなメッセージが有効だと言えるでしょうか。我々は十年一日のごとく「怖いよ」「将来ろくなことがないよ」ということばかりを言い続けてきたのではないでしょうか。これは、学校へ行かなくなった子どもに対する「脅し」に似ています。
 「絶対だめ」という指導のスタイルは、往々にしてやってしまった子どものことを考えに入れていません。覚醒剤への敷居の低くなった時代の薬物乱用防止教育は、これまでのような累犯非行や暴力団とのつながりを持った子どもを想定して、絶対やらせない(逆から見れば、やってしまえば決定的に排除される)ことを前提にしていたものとは違う、「短期卒業可能性」に焦点を当てたものにしていく必要があります。



10.長期乱用−嗜癖の問題


 短期卒業が可能であったら、それは幸運なことです。しかし、それはいつでも可能というわけではありません。長期間薬物を乱用すれば、精神状態や身体への影響も深刻になり、精神病様の症状から他人に危害を加えるようなことが起こったり、薬物を手に入れるために犯罪に走ったりということも起こります。しかも、嗜癖(しへき)という厄介な問題に陥ってしまいます。
 嗜癖の問題は、決して簡単な問題ではありません。
 嗜癖状態に陥った人は、どうして判で押したように同じことを言うのかと思うほど、「いつでもその気になったらやめられる」といいます。そして、それは多くの場合不可能です。これが、嗜癖の最初で最大の落とし穴です。やっかいなことに、「いつでもやめられるはず」という気持ちは、家族や周囲の人にもあります。
 薬物をやめさえすればいい。それですべては解決のはずです。どうしてそんな単純なことがわからないのか、と家族は嘆きます。そんなことは、当の本人だってわかっているのです。ところが「いつでもやめられる」なら、これ一回ぐらいかまわない、と言う気持ちがでてきます。
 つぎは、「もうやめる」です。家族の再三の説得や、事件や事故がきっかけで薬物をやめようと思っても、簡単にやめられるというわけではありません。「もうやめる」「これで最後だ」という空手形に、家族は何度もぬか喜びをします。ここまで来ると、自分でもそう簡単に薬物をやめられないかもしれないと言う気持ちがでてきます。その気持ちをうち消すかのように、「もうやめる」とつぶやき続けるのです。「もうやめる」と泣きながらシンナーを吸っていたと告白するサバイバー(薬物嗜癖からの回復者)の人もいます。
 嗜癖から抜け出すことの困難について、サバイバーはよくこのように話します。「薬物をやめるということは、一回だけのことのように思われるがそうじゃない。薬物をやめるということは、毎日毎日を今日一日薬物なしで暮らすということを積み重ねることだ」と。
 薬物なしで暮らして行くためには、その暮らしが充実したものでなければなりません。定職もない、家族にも見放されて、友達も薬を一緒にやる仲間しかいないという状況では、なかなかそこから抜け出すことは困難です。
 覚醒剤の場合は、本人がやめる気になるまで待つしかないというような、気長なことは言っていられないかもしれませんから、警察や補導センターの協力を仰ぐのが賢明かもしれません。
 嗜癖の問題は、ここでは述べきれませんので機会があれば別の所で掲載します。

第1部 第2部 第3部 第4部

COMINIG SOON!


第4部
11.蔓延する嗜癖気分
12.大人に何ができるかを考える


 我々のクリニックは薬物依存専門のクリニックではありません。むしろ、すでに依存症に陥っている人に対してはほとんど何もすることができません。すでに依存症と思われる方は、適当な治療施設を探されることを進めます。依存症は、依存症専門の病院や診療所を受診される方が賢明かと思います。適当なところが思い当たらない場合は、最寄りの保健所、または最寄りの警察に問い合わせてみてください。

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